20年目の節目に思うこと 〜岐南町の片隅から始まった独立開業からの人生〜
2009年、岐南町の小さな部屋で「天野企画」を立ち上げたのがすべての始まりでした。
当時はブライダル映像の制作が100%。一人でアナグマのような感じで映像編集を行っていました。
それから20年――。
気がつけば、売上1億円、スタッフも増え、岐阜県下最大級のスタジオ「しろくまスタジオ岐阜羽島」を建設し運用するまでに成長しました。
振り返ればその間ずっと、目の前の「誰かの困りごと」を一つずつ解決してきただけのような気がしています。自ら営業したことはほとんどありません。誰かが、こんなことできる?やってみる?とご依頼いただいた期待に、ただひたすら答えるために、走り続けてきました。
「WEB制作」は手段だった
2010年、羽島市に事務所を移し、本格的にWEB制作をスタートしました。
当時、周囲の中小企業には「ホームページ=名刺の延長」という認識がほとんどで、デザインや導線、SEOなどは二の次。
でも僕は、「成果をあげることに」に本気になれるWEB制作者でありたかった。
商品やサービスの“魅力”は、本人には当たり前すぎて見えていないことが多い。
それを掘り起こし、かたちにして届けるのが、僕たちの仕事だと信じてやってきました。また、制作コストに関しては、お客様の大きな負担になるような広告は提案すべきではないと考えていました。低コストで成果のでるWEB制作にこだわっていました。
軸をぶらさず、時代に合わせて変化していく
DTPや映像制作にも取り組みながら、時代の流れとともに事業は広がっていきました。
舞台収録やセミナー映像の制作も、「誰かの“記録したい”という想い」に応えた結果です。
そして2023年には、羽島市江吉良に「HASHIMAゴールデンスクエア」を建設。
その中に構えた「しろくまスタジオ岐阜羽島」は、これまで応援してくれた地域や仲間への恩返しの意味も込めています。

これからの未来に向けて
正直に言えば、WEB制作という仕事は今後ますます“手段”としての価値が下がっていくでしょう。
テンプレートやAIがどんどん進化し、「作るだけ」では選ばれない時代が来ています。
だからこそ、僕たちは「考える力」「共に歩む覚悟」「人間にしかできない提案」を強みにしていかなければいけない。
僕自身も、“作る人”から“組み立てる”へ、役割をシフトしていく覚悟があります。
そして次の10年は、「地域の事業者と共に育つ会社」になりたいと思っています。
マーケティングやブランディングの支援、そして若手クリエイター育成など――
今まで以上に“人と向き合う”仕事に力を入れていきます。
このブログでは、そんな経営のリアルや、現場のあれこれ、たまには脱線話なども交えながら、
つれづれなるままに綴っていきたいと思います。
コメント