息子が小3のとき、私は野球に興味もない彼を、無理やりスポ少の野球部に入れた。
本人の気持ちなんて、正直どうでもよかった。
「人間関係を学ばせたい」
「団体競技で、強くなってほしい」
そんな“もっともらしい理由”を並べて、とにかく入団させた。
当時のチームは少人数だった。息子は2番目の入部。
人数が少ないから、どの子も試合に出られると思っていたし、のんびりやればいいさ、くらいに思っていた。
だけど、1年後、久しぶりに息子とキャッチボールしたとき、衝撃を受けた。
「……全然、うまくなってない」
毎週土日、時間を削って練習に行ってたはずなのに、まるで上達していない。
これはおかしいと思った。でも、当時の私は忙しさを理由に、深く見ようとしてこなかった。
“楽しんでるかどうか”なんて、考えてもいなかった。
6年生になったとき、同学年は13人に増え、チームは活気にあふれていた。
でもその頃には、完全に「レギュラーと補欠」に線が引かれていた。
うちの息子は、成長著しい子たちに、どんどん抜かれていった。
そりゃそうだ。最初から好きじゃなかったんだから。
好きな子にかなうわけがない。
練習試合に行っても、レギュラーの8人がガチガチに固定。
残りの子たちは、“余り枠”として順番にライトを守るだけ。
それも1回だけ。打席が1回あるかどうか。
息子は、まるで透明人間のように、ただベンチで時間を過ごしていた。
勝てるチームを作る――それが監督の方針だった。
弱い子は置いていく。試合に出さない。
練習試合でさえも、「出場経験」ではなく「勝ち」を優先する。
ふざけるな、と思った。
私は団の代表だった。
でも、そんな方針に従うのが嫌で、行くのがしんどくなっていった。
土日が来るのが怖くなった。
スポ少のことを考えると、胃が痛くなって、頭がズキズキした。
ノイローゼになりかけていた。
そんなある日の練習試合。
同学年4番の子が、劇的な逆転満塁ホームランを打った。
ベンチは湧いた。
親たちは飛び上がって喜んだ。
「今日は祝杯だ! 居酒屋行こう!」って、親さん達は、盛り上がってた。
でも――
うちの息子は、ベンチで、ただ黙って砂をいじっていた。
その姿を見た瞬間、何かがぷつんと切れた。
情けない? いや違う。
悔しいのか?
今まで感じたことのない自分自身が悔しいのではなく、何か怒りに近いものと、
残念な感情が入り混じって、よくわからない精神状態だった。
ベンチは湧いているので、笑顔を作るしかなかった。
もちろん。
私はその飲み会には行かなかった。いや、行けなかった。
どうせ、飲み会に行っても、練習試合の振り返りを1イニングから順にしていって、
その話題に花を咲かせるだけだ。
私は、自分の息子が活躍する場面を見たかったのに。
ホームランを打って、ガッツポーズをする満面な笑みをみたかったのに。
ファインプレーで、難しいフライをキャッチする息子をみたかったのに。
私が、スポ少で望んだ情景とは180度違う状態になっていたことに
この時ようやく気がついたのだ。
家に帰って、妻と何度もケンカした。
「なんで出させてもらえないの?」
「なんで1試合くらい、補欠の子たちにやらせてあげないの?」
「これって、教育なの? 勝つことだけが全てなの?」
スポーツ少年団のホームページを見た。理念を確認したかったからだ。
そこにはこう書かれていた。
- 一人でも多くの青少年にスポーツの歓びを提供する
- スポーツを通して青少年のこころとからだを育てる
- スポーツで人々をつなぎ、地域づくりに貢献する
私達が入団したのは、野球部で、スポ少ではなかった。
もうやめたい。。。。
妻も、私と同じ気持ちだった。
でも、私たち以上に何も言わなかったのが、息子だった。
彼は、文句も言わず、ただ黙って野球を続けた。
どんな気持ちだったんだろう。
あのベンチで、砂を握りしめながら、何を思ってたんだろう。
私は今でも思う。
「ごめんな。無理やり入れたのは、親の勝手だった。」
親の理想のために、子どもの心を置いてきぼりにしていた。
勝ち負けじゃなくて、子どもが何を感じ、どう生きていくかを見るべきだったのに。
でも、君は辞めなかったね。
どんなにベンチでも、続けた。
それだけで、もう充分だったのに、俺は気づけなかった。
隆介君。小学校卒業おめでとう㊗️
まずもって隆介が無事に健康でこの日を迎えられたことをとても嬉しく思います。ありがとう。そして、今この瞬間、家族のみんなが健康で笑顔で生活出来ていることに感謝しよう。住む家があり、温かい布団があり、不自由ない食事ができ、たまに旅行などに行ける事、ゲームなどで弟たちと楽しめること。それが隆介にとって当たり前の生活になっていると思いますが、そういった満足な生活が出来ていない人達が世界中にはもちろん、日本にもたくさんいる現実を見逃さないでください。
今から8年前の東北大震災で、沢山の命が無くなりました。お母さんやお父さんに会いたくても会えない子どもも沢山います。反対に子どもに会いたくても会えなくなってしまった人も沢山います。私達、家族がこうして元気に笑って暮らせることに改めて感謝します。
隆介は、宿題などを机でやっている所をほとんど見たことがないので、大丈夫かなぁと心配する事もありましたが、お父さんに似て要領が良いし、頭の回転も早いので、きっと大丈夫だろうと信じていました。案の定、テストでは良い点数が取れていますしたね。特に算数や理科のテストは得意でしたね。お父さんも理系だったのでとても誇らしいです。
さて、勉強はテストで良い点数を取るためにやるものではありませんよね。先生に褒められるためにやるものでもありません。自分の将来をより豊かなものにするため、すなわち、幸せになるために頑張って取り組む、自分自身のためのものなのです。このことが、理解出来て、本当に自分のしたい事が見つかった時には、夢中になれるので、努力を苦労と思わず突き進める自分に出会えるはずです。
スポ少での野球も良く頑張りましたね。
3年生になった時、お父さんが何もわからない隆介の手を無理矢理引いて、入団しました。楽しいのか、苦しいのか、何も分からず始めたスポ少。良く卒団までやめずに頑張ってくれました。夏の暑い練習。冬場の容赦ない校舎ダッシュ。レギュラーと補欠の狭間で悔しい時もあったと思います。また、高山遠征でホームランを打ってくれた隆介には、本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。あのホームランは隆介の最初で最後のたった一度のホームランとなりましたが、お父さんにとって最高のプレゼントでした。ショートの頭上を超えて左中間を勢いよく抜けていったライナー性の見事なバッティングでした。一塁の審判をやっていたお父さんの目にしっかりと焼きついています。
また、八校大会の決勝では、素晴らしいヒットを打ってくれましたね。本当にありがとう。とても心強く、誇れる息子です。
さて、
中学からいよいよ人生の序章が始まります。小学校で経験したこと、感じたこと、勉強したことを礎として、より豊かで充実したしあわせな人生を歩んで下さい。
成功だけの人生はありえません。
失敗や成功こそが人生そのものなのです。
大切なのは、まず大きな夢を持つこと。
その夢に向かって果敢に挑戦すること。
万が一、失敗しても諦めないこと。
隆介なら絶対に幸せになれると思います。
恵子さん以上の妻を見つけるのは、並大抵ではないと思いますが、将来の自分のお嫁さんに恥じない自分に成長する事を、目標として頑張ってください。
2019/03/26 父より
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